18禁その他。

>>>ボーダーライン。




純文学なんてあんなエロいもんあるか、という活字派の私にとって、活字エロに対するアダルトの線引きは難しい。エロに関しては写真でも絵画でも言われることではあるけれど。芸術性があるかどうか、とか。そうすると、何が芸術かという話になるのだが、エロに対しての私の分類基準は、それ以外の何が見えるか、に尽きるので。何に引っ掛るかは人それぞれだと思うけど、エロなんて所詮、その奥への妄想あってのものだと思う。

18禁、といわれるモノについて考える。エロ以外にも暴力とか、倫理的なこととか。影響を受けやすいから、とか、多感な年齢だから、とか、そういうことなのかとは思うのだが。自分に限ってかもしれないが、むしろ10代の頃の方が、そういうモノに対して鈍感だった気がする。実感が無いぶん、想像力に欠けていたのかもしれない。個人的なことかもしれないが、コドモというのは、そういうものだとも思う。

オトナになるにつれ、エログロと呼ばれるものやなんかに過敏になってきたように思う。嫌悪感。拒否反応。それこそ、こんなもんをコドモに見せちゃイカン、などと、根拠なく思うことすらある。エロに思わず引いてしまうと、いい年してぶってんじゃねーとつっこまれるのだが、どっちかっつーと、有害図書追放を訴えるおばちゃん(あくまでイメージです)なんかの感覚に近づいてきたのだと思う。年をとったということだと思う。

えぐいものをえぐいと感じられるようになったぶん、その裏側にあるものが鮮明になってくることもある、意味合いの深さとか。単純に、汚れたもの自体の魅力というものもあるけれど、恐いもの見たさとか。所詮下世話な人間です。それでも、醜いものはたくさんだ、嫌でも見ざるを得ないことだけで充分だという思いもある。許容範囲が狭いってことか。臆病になってきているのかもしれない。感情を揺らすことが億劫になっているのかもしれない。それはきっと、哀しいことだ。

一方で逆に、過激なものに慣れると鈍感になるというのもあるんだろうが。過激さは、突き詰めてくと底が見えるのが早い気がする。これも個人差があるのかもしれない。底まで行かない人もいるのだろうし、底を認めず、更に深みを求めもいるのだろうし。年齢は関係あるのかなあ。年齢での禁止に、鈍感さへの効果があるのかは判らないけれど。ま、禁止されてるものを盗み見る楽しみというのもあるわけで。18禁の意義って、そんなとこにあるのではと少し思う。


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