逃げる。

>>>ボーダーライン。




私は、いわゆる「リストカット」という行為を「自殺未遂」ではなくて「自傷行為」だと認識している。死ぬ気が無いんだろうとかいうことではなくて、ハナから別のコトだと思っているのだ。医学的な知識や自らの経験がある訳では無いので、根本的に間違った認識かもしれない。また、どちらが良い悪いという話をしているのでもない。「自傷行為」自体がある種の疾患でもあり、また、それによって死に至る場合もある、という認識はしているので、その行為を軽んじている訳でもない。

良い悪いという話でもない、などと書いたが、どちらも悪いというのがマットウな意見なのでは、とは思う。ただ、当人にとっての「問題」は、「それが良いか悪いか」ではないのだろう、とも思う。むしろ自傷行為の場合、それがイケナイコトだという認識があった上で、更に葛藤して自分を煽って追い込んで、といったケースが多いような気がする。(ちなみに「自殺」の場合は、そんな認識や葛藤からも遠ざかってしまった状態の人の前に残された「静かな選択肢」というイメージ。)

葛藤する余裕がある状態というのは「逃げ道がまだ何処かにある」状態だと言えるのではないか。その逃げ道が「自傷」という行為なのだという人もいるのだろうが。「逃げるしかない時」「良いとは言えない状態しか選択できない状況」というのは程度の差こそあれ誰しもに起こり得ることで、そんな時は多分皆「自分にとって適した逃げ道・逃げ場」というものを、無意識あるいは意識的に探して選んでいるのではないかと思う。疾患にとって問題なのは「程度」なのだろうが。

自傷の快感、というのも否定できないものではあると思うのだが。この場合の自傷というのは肉体的な傷に限ったことではないけれど、肉体的な痛みや感覚というものは、時としてダイレクトに自己確認に繋がるものかもしれない。いずれにしろ自己愛の強い行為ではなかろうか。私が「自傷行為」に対して反感を覚える場合は、「命(或いは身体)を粗末にするなんて」とかいうことよりも、それが「自己愛を誇示することは恥ずかしい」という自分の感覚に触れる場合だと思う。

一方で、露悪の快感なんてものもあるわけで。悪いこと・恥ずべきことだと自覚した上での確信犯。不謹慎な言い方ではあるけれど、それもまたアリだと思う。逃げ道が必要である以上、それを模索するしかないのだし、それを楽しんでみせるのもアリだろうと。却って自虐に陥りそうではあるけれど。誉められた選択ではないかもしれない、頭で選んだ道ではないかもしれない。それでも、逃げることで各々守れるものもあるのだと。それはきっと、善し悪しを越えた本能的正解。


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